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日语小作文范文

来源:学生作业帮助网 编辑:作业帮 时间:2024/05/30 15:01:01 优秀作文
日语小作文范文优秀作文

篇一:八篇日语小范文

私の夏休み

私たちは夏休みが楽しみにしていた。(夏休みが楽しみだった)7月20日、やっと夏休みが始まった。李さんと私は北京へ行くことにした。私たちは汽車に乗った。汽車の中で人がおおぜいで、(汽車の中は人がおおぜいで)とても賑やかだった。私の町から北京まで一時間6分かかる。9時30分に北京へ着いた。(北京に着いた)その日(その日は)いい天気だった。私たちの気分もよかった。北京は広い大都市で、(北京は大都会で)建物も高いし、タクシーも多い。李さんと私はタクシーで故宮へ行った。まず入場券を買って、故宮を見物し始めた。私たち(私たちは)案内者を雇って、故宮の歴史を説明してもらった。故宮はわが国の歴史の産物でとても雄大たところ(雄大なところ)だ。私たち(私たちは)。写真をたくさん撮った。故宮は私たちに深い印象を残った。(故宮は深い印象を与えてくれた)外国からの観光客も多く見た。翌日颐和园へ行くことにした。北京で(には)、こんな歴史的名所がたくさんあるので、私の夏休みはとても楽しかった。

注:这篇文章写的是利用暑假去北京观光的事。条理还很清楚。

蓝色划线内容不妥,括号内为修改后的正确表达形式。

「日記」

今日は王さんと一緒に天津にある大学の本部へ会議を参加して行った。(会議に参加しに行った)。新人の教師を迎えるための会議だった。朝7時半に、皆は校舎の門のところで集まって、バスに乗って行った。8時頃、私たちは着いた。あそこに、(そこには)、人がたくさんあった。

(人が大勢きていた)。始めて、(始めに)学長は。(が)。重要な講演をした。(スピーチをした)。後で(それから)新しい教師は。(が)。面白い番組を上演してくれた。(出し物を披露してくれた)。そのあとで、皆は一緒に歌を歌ったり、踊りを踊ったり、(踊ったりして)、楽しかった。午後5時半、会議が終わってしまった。(終わった)。私は王さんとバスで分学校に返って来った。私は疲れるがとても嬉しいんだ。(疲れたがとても楽しかった)。

注:以平实的语言写出一天之中发生的事情,而且线条很清晰,有始有终。蓝色划线内容不妥,括号内为修改后的正确表达形式。

私の病気

一昨日私は病気になった。病気といってもたいしたものではない。しかし、熱を出し、頭がが痛かった。咳も出て、喉が痛かった。それで、近くの病院に行った。

お医者さん、「風邪を引く、(風邪を引いたんですね表示医生的判断、同時表示確認的口気)天気が寒くなって、(寒くなったから)気をつけるよ。(気をつけてください)ご心配しない。(ご心配しない是錯誤的 心配いりません是正確的)薬を飲んで、ゆっくり休んだほうがいい。」と

言っていた。そして注射をして、薬をくれた。

家に返って、(帰って)私は薬を飲んだ。お医者さんの言と(言うとおり)、睡て(寝て)しまった昨日、私はよくなった。午後任さんは(が)見舞いに来てくれた。彼女は「病気をしないように、毎日体を鍛練(鍛える)しなければならないよね」と勧めた。いまから、(これから)私は体を鍛練するつもりだ。

注:这篇作文写得很具体,有时间,地点人物,是一篇好作文。

蓝色划线内容不妥,括号内为修改后的正确表达形式。

スポーツ

スポーツは健康に一番大切で、人々はいろんなスポーツを参加する。(スポーツに参加する)。毎朝、多くの人は、公園に来て体を鍛える。若者たちはテニスや卓球をやり、年取り(年寄り)は太極拳やラジオ体操をする。私の一番好きなスポーツは駆け足だ。私は、毎朝、公園を一回りして、200メートルくらい走る。これは私のよい趣味になっている。一日走らなければ、私の気分(気分)がすぐれない。大学時代から、私はこのよい習慣を持ってくる(私はこのことを習慣としている)。そして私の体がとてもよい。私の心臓や血圧が正常だ(従って、体が丈夫で、心臓の鼓動も血圧も異常はない)。一年中、私は風邪を引かない(私は風邪を引いていない)。私は駆け足が好きだ、私は駆け足を続けることにする。(私は駆け足が好きだから、これからも駆け足をつづけていくつもりだ。)

注:这篇作文写得充满生活气息,语言表达基本正确。

蓝色划线内容不妥,括号内为修改后的正确表达形式。

趣味

私の趣味は読書だ。子供ごろ(子供のごろ)から、読書興味は始めだった(読書に興味を注いだ)。私の父は教師で、一番好きなものは本だった。いつも書屋(本屋)へ行ってたくさんな(の)本を買ってきた。本を読めなければ、私たちは進歩しない(本を読まなければ進歩できない。)と父はよくしゃべった(言った)。それで、私はいろんな本を読んで、読書の習慣を持ってしまった(身につけた)。

いまの(は)私も教師で、たくさんな本もある(本をたくさん持っている)。毎日授業が終わると、書斎で読書をしている。文学や歴史や地理などの本を読んで、いろいろな知識を習ってしまう(身につけた)。したがって、授業の時に、私は生徒たちに豊富な知識を教える(豊富な知識を与える)ことができる。それに、読書はよい趣味ばかりでなく、私の素質(素養)を高めることが(も)できる。私は読書が大好きだ。

注:这篇文章扣题,语言流畅,结构合理,字数也掌握得恰到好处。

蓝色划线内容不妥,括号内为修改后的正确表达形式。

自然を守ろう (论说文)

人間は自然の恵みに頼って、この地球に生き続けている。私達が毎日食べるものも、住んでいる家も、着る衣服ももともとは自然界から手に入れたものである。人間にとって、自然は貴重な資源の宝庫である。しかし、人間は交通を便利にするため、森を切り開き、また、発電のため、川の流れをせき止め、ダムを建設している。人間は自然界からいろいろなものを取り上げる一方、自然破壊をやっている。このような破壊は二十一世紀には言ってから更に酷くなり、人間が反省しないで、ずっとこのままやって行くと、地球は破壊するかもしれない。私たちの生存の基盤―地球を守るために自然を大切にしよう。

ダイエットをすべきか(議論文)

今世の中ではダイエットという言葉が流行っている。人なら誰でもダイエットしなければならないようである。しかし、私はそう思わない。本当に太りすぎた人だけはダイエットする必要があるが、一般の人はしなくてもよいであろう。なぜなら太りすぎるといろいろな病気を引き起こすからである。たとえば糖尿病や高血圧は太っている人はさらにダイエットすると栄養失調になってしまうかもしれない。だからダイエットということは人によって違うのであって、無理にダイエットをすることはよくない。医者の指導の下でやったほうがいいと思う。

这篇作文写出了什么样的人应该减肥,什么样的人不宜减肥,减了肥反而不好,最后又联系自己写出了想法和建议。语句通顺观点明确。

先生への手紙

実はご相談したいことがあって、この手紙を書くことにしました。

私は大学を卒業したら、日本へ行って日本語の勉強を続けたいと考えています。私は将来日本語の先生になりたいと思っていますが、そのためには、日本語の文法や表現について、もっと深く研究しなければならないと考えています。私が日本へ日本語の勉強に行くことについて、先生はどうお考えになりますか、賛成していただけるでしょう。まだ、賛成していただける場合、日本語の研究のためにはどこの大学がいいでしょうか。こちらでは情報が少ないので、先生に教えていただければ大変ありがたいです。私の希望は、修士の学位を取ることですが、もし可能なら、博士課程まで進みたいと思っています。

篇二:考研日语作文范文26篇

考研日语(非日语专业)作文范例25篇

問題1

あなたは、外国の人があなたの国の母語で語りかけてきたとき、文法や言葉遣いが間違っていたら直してあげますか。それとも失礼になると考えて言わないでおきますか。 解答 直してあげる

私は間違っていたら直してあげる。

なぜなら、言葉の誤用に中には、相手の誤解を生んだり心を傷つけるような言い回しがあり、その不用意な一言のせいでコミュニケーションに障害が生じるとしたら、本人にとっても不幸だと思うからだ。

例えば、日本語の「あなた」という言葉は目上の人に使うと失礼になるが、欧米の人たちは誰彼の区別なく「あなた」を使う。それが初心者ならまだ許せるが、ぺらぺらしゃべる外国の人に「あなた」と言われたら、日本人は間違いなくむかっとするだろう。それは母語と関係しているのであり、何の悪意もないのだが、言われた日本人はいい気持ちがしない。こうした誤用は誰かが指摘してあげなければ、いつまでも直らない。

従って、異なる言語や文化を持った者同士のコミュニケーションが大切な時代には、自分が間違っていたら指摘してもらうし、相手が間違っていたら指摘してあげるといった率直さが美徳となると思う。

問題2

ある外国の人は「日本人は『はい/いいえ』がはっきりしないから、理解しにくい。日本人はもっとはっきり意思表示をするべきだ」と言います、あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。

解答 賛成する

私はこの意見に賛成である。

確かに日本人は「はい/いいえ」をはっきり言わない傾向がある。それは相手の気持ちを傷つけまいとする「和」の文化と言われるものだろうが、私たち外国人には賛成なのか反対なのか、好きなのか嫌いなのか、とても判断しにくい。

例えば、以心伝心とか、言葉を使わずに察しあう習慣は、日本社会のような同質性の高い同一民族社会では可能かもしれないが、私の国中国のように文化が異なり、言語が異なる多民族が暮らす社会ではほとんど不可能だと思う。きちんと意思表示しなければ、コミュニケーションが成立しないのである。今の日本も国際化が進んでおり、多くの外国人が住み、異文化間の交流が日常化している。そんな国際化時代には、はっきりとした意思表示や自己主張ができなければ、他人からも認めてもらえなくなるのではないか。

従って、私は日本人にはもっとはっきり意思表示できるようになってほしいと思う。

問題3

日本には昔からクジラの肉を食べる習慣がありますが、現在は食用としての商業捕鯨は全て禁止されています。あなたはこの商業捕鯨の一律禁止についてどう考えますか。 解答 賛成する

私は商業捕鯨の一律禁止に賛成である。

なぜなら、クジラは繁殖力が低いので、捕りすぎると資源の回復が遅いからであり、また、クジラは経済的価値が高く、商業捕鯨を一旦認めると、乱獲されやすいからである。例えば、1946年に「国際捕鯨条約」が締結されたが、その後も乱獲が続き、クジラを絶滅の危機に追い込んだのは周知の事実である。捕鯨国代表は、カンガルーと同様に間引

きが必要なまでに鯨が増えているとし、商業捕鯨の再開を主張しているが、鯨の生息数に関して、科学的に確定した合意が得られているわけではない。また、捕鯨反対派に対して「食文化への干渉」と言うが、IWCが原住民の生存捕鯨を認めているように、食文化まで否定しているわけではない。乱獲を防ぐための国際的管理体制が確立されない状況下で、商業捕鯨が再開されることに反対しているのである。

従って、私は現状における商業捕鯨の再開に反対する。

問題4

「言語や宗教、生活習慣など、民族間の文化的な違いが生む確執こそ、現代の地域紛争を生む最大の原因である」という意見があります。あなたはこの意見をどう思いますか。 解答 反対する

私はこの意見に反対である。

なぜなら、現代の地域紛争は単に宗教や言語の差異から起こるのではなく、主に経済?政治的理由から生じているからである。

例えばパレスチナ問題である。「パレスチナ人」という民族概念もユダヤ人国家イスラエル誕生で土地を追われ、難民となった人々の共通の運命をてこに形成されたのであり、歴史的にも新しい事態である。それ以前のパレスチナでは多数派であるイスラム教徒と、少数派であるキリスト教徒やユダヤ教徒が住んでいたが、人々は宗教や民族の違いに関わらず、共存して暮らしていたのである。また、アフリカ各地で部族間紛争が頻発しているが、そもそもヨーロッパ列強がが植民地化のために諸部族や諸民族の暮らしを無視して、人為的に引いた国境線が原因となっている。

従って、文化や宗教の違いがあっても人々は棲み分けし共存してきたのであり、文化の違いが地域紛争を生んだのではないのである。

問題5

ごみ減量やリサイクルを促進するために、残飯や紙、プラスチック容器などの一般家庭ゴミの回収も有料化するべきだという意見があります。あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。

解答 賛成する

私は一般家庭ゴミの回収有料化に賛成である。

なぜなら、ゴミを捨てるのにお金がかかれば、市民もゴミの分別やリサイクルに関心をもつし、ゴミ減量にも目に見える効果が期待できるからだ。

例えば、家電ガミの回収の有料化によって、家庭から捨てられる家電は半減したし、家電メーカーでも使える部品を再利用して製品として再生するなどの取り組みが進んだ。同様のことは家電ゴミ以外でも起こると思う。食べ物を無駄にしていないかとか、使い捨てのプラスチック容器のように、使い捨てとなり、再利用が困難なモノを作っていないかなど、消費者からの生産現場への問題提起となり、リサイクル社会への移行が進むに違いない。確かに、家計の負担は増える。しかし、今までもゴミ処理費を税金として住民が負担していたことに変わりはなく、住民自身、その長短を考えるべきだろう。

以上の理由から、私は一般家庭ゴミの回収有料化に賛成する。

問題6

「地球温暖化を防ぐためにも、できるだけ自動車や電気を使わない生活をするべきだ」という意見がありますが、あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。

解答 人々の意識

私はこの意見に賛成である。

なぜなら、地球温暖化の最大の原因は、今日の「消費は美徳」とする大量消費型社会にあり、エネルギー浪費型の生活スタイルにあると思うからだ。

例えば、自動車がなければ本当に生活できないのか。クーラーがなければ生きていけないのか。極論すれば、それらはなくても生きていけるはずだ。しかし、水、空気、土地、太陽、植物といった自然が壊わたら、人は生きていけない。せめて、近く?a href="http://www.zw2.cn/zhuanti/guanyuwozuowen/" target="_blank" class="keylink">我苿婴献攒炣嚖蚴工ぁ⒍嗌伽问瞍岛丹四亭à毪挨椁い韦长趣悉扦毪长趣馈W匀护嫌邢蓼扦ⅳ辍ⅳ嗓长侨祟悿蜃灾皮工毪长趣蜓Г肖胜堡欷小⑷祟悿猡蓼靠指oの二の舞になるだろう。この地球には、60億人を越す人類が、先進国並みの消費生活を享受できるような余地はないのである。

従って、私は未来の子孫のためにも、可能な限り車や電化製品に頼らない生活をすべきであり、資源リサイクル型社会を目指すべきだと考える。

問題7

最近、電子辞書が普及していますが、あなたは外国語を学習するとき、普通の印刷された辞書と電子辞書と、どちらが勝っていると思いますか。

解答 普通の辞書

私は外国語の学習には、印刷された普通の辞書の方が勝ると考える。

なぜなら、単に意味を調べるだけなら電子辞書の方が便利だが、言語学習には語彙や例文を覚えるための練習があり、そのためには下線を引いたり、メモしたりできる辞典の方がいいと思うからだ。

例えば、外国語を学ぶための教材に電子教科書が使われないのは、言語習得には手で書いたり、声を出して反復したり、教師の説明をメモしたりと、様々な作業が必要だが、電子教科書ではそれができないからであろう。また最近、電話番号を記憶させておける携帯電話が普及したために、人は相手の電話番号を覚えなくなったと言われるが、同様のことが外国語学習でも言えそうである。人は易きに流れるものであり、便利になればなるほど、機械に頼り、覚えたり考える努力をしなくなるものだからである。

従って、言語学習には、日々の努力の跡がまざまれる普通の辞書の方が勝ると思う。

問題8

ある人は、「子供に悪い影響を与えるテレビ番組は、法律で規制するべきだ」と言います。ある人は、「表現の自由を侵害することになるので、テレビ番組を規制するべきではない」と言います。あなたはどちらの意見に賛成しますか。

解答 規制すべきだ

私は、「子供に悪い影響を与える可能性のあるテレビ番組は法律で規制すべきだ」という意見に賛成する。

なぜならば、テレビの番組は、見たい人だけが足を運ぶ劇場や映画館とことなり、誰もが見る可能性がある自宅に、一方的に送られてくるものだからである。露骨なベッドシーン、残酷な暴力シーンなど、明らかに子供に有害と思われる番組が、野放しにされているのは好ましいことではない。

「殺人者をテーマにした番組を見た子どもが、全員人殺しをするわけではない」が、犯罪行為を英雄のように描く番組や、暴力礼賛のような番組が、子供たちに何の悪影響も与えないと断言できるのだろうか。また、正しいかどうかを疑う確かな目が、まだ養われて

いない子供には、発展段階に応じた情報や内容が提供されるべきだろう。

従って私は、子供に悪い影響を与える番組を規制することは、子どもたちの健全な感受性を養う上で、必ずポラスに働くと思う。

問題9

将来、学生はコンピュータなどの情報機器を使った在宅学習か、従来通り学校に通って受ける学校教育かを自由に選択できるようになるでしょう。その場合、あなたはどちらを選びますか。

解答 学校教育

私は学校教育を選ぶ。

なぜなら、共通の学びの場である学校という集団生活の中でしかできないことがあると思うからである。例えば、友との交流や、クラスのみんなが力を一つにして何かを実現する喜びなど、自宅に引きこもっていただけでは味わえないことである。

確かに今日の学校では、いじめ、不登校、暴力などの様々なことが起こっている。私自身、学校の勉強が楽しいわけでもないし、学校という集団生活の中では、煩わしいこともあれば、自分の思い通りにならないこともある。しかし、人は一人では生きていけないし、人との関係に中でこそ喜びもある。また、学校といういろいろな個性が出会い、集団で生活する経験を通して、私たちは実社会で生きる力を身につけるのではないだろうか。これらのことは、ひとりでパソコンに向かい在宅学習をしているだけでは、決して学ぶことはできない。

以上が私が学校教育を選ぶ理由である。

問題10

あなたは、情報源として、新聞とテレビと、どちらの方が信じられると思いますか。どちらかと選んで、あなたの意見を書いてください。

解答 新聞

私はテレビよりも新聞の方が信用できると考える。

なぜなら、新聞は速報性よりも、事実を正確に伝え、解説することを目的としているからであり、テレビよりも感情や過剰な脚色を交えぬ報道ができるからだ。

例えば、アメリカの同時多発テロ事件の報道にしても、テレビではアナウンサーが絶叫し、センセーシュナルに報道していたが、映像や音声があるおかげで臨場感はあるものの、実際の被害はどうなのか、どうしてこのような事件が起こったのかなど、冷静になって知りたいと思う、やはり翌日の新聞を読むことになる。やはり、文字を中心とする新聞の方が、活字化するという作業の中で言葉が選ばれ、事実や論評げのチエックが働くからだと思う。確かに、新聞にも誤報がないわけではないが、テレビのように視聴率を稼がんがための演出や「やらせ」が少ないぶん、信びょうせいも高くなる。

従って、私はテレビよりも新聞のほうが信用できると考える。

問題11

日本では学校教育法(第11条)で体罰を禁止されていますが、「ケースによっては、体罰が必要なこともある」と主張する人がいます。あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。

解答 反対意見

私はこの意見に反対である。

なぜなら、体罰というの外からの強制であり、このような他律的な強制力では自覚的規律の育成は不可能だと考えるからである。

例えば、これは実際の話であるが、学校でいじめ事件が発生し、いじめた者たちを生活指導の教師が体育館に何時間も正座させ、姿勢が崩れた者を竹刀で打つという体罰を加えたことがある。それで、いじめがなくなったかというと、結果は全く逆であり、よりいじめは陰惨となり、巧妙となった。体に傷が残らないようないじめが、訴えた生徒に加えられたのである。この一例を見て(来自:WWw.zW2.CN 爱作文网)も、体罰が有効でないばかりか有害であることがわかる。私は教室で騒いだり、喧嘩をした生徒を教室に立たせたり、運動場を走らせたりする程度のことまで体罰とは言わない。しかし、一旦制度として体罰が認められれば、それが過剰に行使される危険の方が大きい。

従って、私は体罰を認めることに反対である。

問題12

「今の大学入試制度を廃止し、一定の成績で高校を卒業した学生には誰でも大学進学の資格を与え、卒業を厳しくする方式に変えていくべきである。」という意見があります。あなたはこの意見に賛成しますか、反対しますか。

解答 反対意見

私はこの意見に反対である。

なぜなら、競争こそ進歩の原動力であり、努力した者が報われ、能力のある者がよりその能力を磨けるいい大学に進学するのは当然の権利だと考えるからだ。

例えば、大学が成績の善し悪しを基準にしないで、誰でも学生を受け入れるとしたら、大学ではその水準に合わせる授業が必要となるため、授業レベルは低下し、学習意欲も高く能力もある学生は犠牲にされることになる。中高生たちは、「勉強は大学に入ってからでもいいさ」と怠けるようになるのではないだろうか。安易さは堕落を生む。

この競争社会では安易な道はない。勝ち残るためには努力が必要なのである、それは、中等教育でも大学でも、そして社会に出ても、連続的に続くプロセスなのである。むしろ、受験競争を悪としたり、能力主義を否定したりする戦後学校教育の悪平等主義こそが、教育荒廃を生んだと考える。

従って、私はこの意見に反対である。

問題13

規則は厳しいが、有名大学への進学率が高い受験重視の学校と、進学率は余りよくないが、規則は緩やかで子供の自主性を尊重する自由な学校があるとします。もしあなたが親なら、自分の子供をどちらの学校に通わせますか。

解答 自由な学校

私なら、子どもの自主性を尊重する自由な学校に通わせる。

なぜなら、人間にとって幸せとは、いい大学を卒業して、一流企業に就職し、高い地位につくことにあるとは限らないからである。

例えば、ラーメンづくりに情熱を注ぎ、少しでもおいしいラーメンを作りたいと日々努力している人は、大会社の社長や大学教授よりも不幸せだと言えるだろうか。豪邸に住む人々が、平凡なサラリーマン家庭よりも幸せだと言えるだろうか。

人は強制されて何かをしているとき、幸せを感じはしない。また、人は自分自身が選んだ好きな道に打ち込むことを通してしか、自分の能力を開花させることはできない。それはこども自身がつかみ取るものであり、親が自分が望む「幸せの形」を押しつけるべきで

篇三:日语作文范文

私の趣味

私の趣味はスポーツをやる事です。色んなスポーツの中にサッカーが大好きです。普段少なくとも周に1回やっていました。最近、勉强忙しいですから、なかなか暇な时间が取れなくなりますので、殆どやっていませんでした。でも、サッカーのことを関心しております。毎周必ずスポーツ新闻を読みます。ちょっと残念ながら、最近、中国のサッカーチームは国际试合で全滅になりそうだ。 もうひとつの趣味は音楽鉴赏でございます。もちろんポピュラー音楽が大好きですけども、普段にクラシック音楽もよく聴きます。いつも部屋で音楽を聴きながら、文章を書きます。もし、何か悩んでいることがあれば、好きな音楽を聴いて気持ちが落ち着けます。

私の家庭 (1)

私の家は 三人の家庭です. お母さんとお父さんと私です.

私の母は 病院の看護婦です. 毎日 八时に 病院へ 行きます, 午后 六时に 家に 帰ります. 母は中華料理が とても 上手です.

私の父は 大学の先生です. 化学の専門を授業しています. 本を 読むことが好きで,テレビが 好きないです.

私は 大学の学生です. テレビを見ることが 好きで, スポツが上手です. 私の家庭が 楽しい 家庭です. 私は 父と母と よく 一绪に 游びに 行ったり, 山を 登ったりします.

私の家族 (2)

私は幸せな家があります、厳しい父、優しい母、可爱い弟。父はいつも私の勉强に厳しく要求しますので、私も頑張って勉强します。父は.時間があるとき、私と弟を遊びに連れて行きます、私の家にもう千枚ぐらい遊びの写真がありました。母はいつも私たちのことに気を配ります、母がいないとき、私は彼女の代わりに家事をやります。弟はスクレーパーガ好きです、时间があるとき、土を掘りに行きました。

忘れられないこと

去年の冬、1日雪が降ることがあります。私は路上に1人の若い母で後ろの小さい娘を引き延ばして走っていることが見えていました。突然で、母は雪の上で滑って転びました。私は急いで过去彼女を引き延ばし始めて、彼女は自分を顾みないで、すぐ小さい娘を聞き始めるのでした。“痛いですか。”“ いいえ。” 小さい娘は头を振りました。若い母は喜んで安心して笑いました。

この时に私が朝のことを思い出しました。お母さんが私を送る时私に対するくれぐれも言い闻かせました。しかし私がうるさいと言ってから家を离れました。小さい女の子と比較して、私はとても耻ずかしく思うと感じます。そのためこの事は私に深い印象を残しました。私は、家に帰った后に、私はきっと両亲に “雪の大通りが滑て、十分に気を付けると思っています。”と言います。その日私を今なお忘れ难くならせる。

中国について

中国は この十数年 多く発展してきました。そして 多いお金を持っている人がたくさんいます。しかし、衣食が満ち足りるために 努力している人が 少なくないと思います。これは中国の市场経済から 决まります。日本は 経済が発达して技術が進んでいる国です。そして 日本の管理技術は 中国より

もっと 発達だと思います。私たち 日本の管理技術が勉强するはずです。何と言っても、中国は大きな国です。人口が たくさんいます。一人ずつは 金持ちになるのが 無理だと思います。一部分人が 裕福になることが 中国の政策です。このまま行くと、金持ち人と贫乏人の差は 大きくなっていっています。どうすればいいですか、私たちは わかりません。私たちは 自分の仕事をしっかりするだけです。将来 中国は 绝対 経済を発展する国になっています。

私の嬉しい事

今までもう20年経ちました。时间が速いね。思い返って、いろんな嬉しい事が思い出されました。その中で、第一嬉しいのは16歳つまり2003年の事でした。

その时には、お姉さんが何回も交流パーティーへ出て、ボーィフレンドを探ったが、気に入るのを见つけませんでした。

お姉さんは本当に綺麗で、優しい女性です。身長177センチで、女性にとっては、とても高いです。それに相当した男性を见つけるのはむずかしかったです。

幸いに最後格好いい男性を见ました。彼は各方面の条件に満足したので、半年ぶり结婚しました。

姉さんの结婚宴で、私も绮丽な服を着て、姉さんたちと一绪に公园へ写真を撮りに行きました。不思议な幸福感があり、心から甘い味をしました。

今、可爱い男の子が生まれました。皆は新年で一绪に食事をして、この子供にお祝いをあげて、喜びを分かち合いました。

性格について

私は真面目で责任感があると思われています。でも时々细かすぎるとかしつこいとかです。暧昧なところがあると、何度も质问したり、确认したりするからではないかと思います。そして、私の性格は慎重的な性格だと思います。ですから、一つずつ丁宁に仕事をしますし、しっかり确认しないと気がすみません。それで なるべく 时间をかけすぎないように 気をつけています。私の长所は あきらめずに顽张り続けることだと思います。私は 大学の二年生时 最初英语能力试験は合格できません。ですから たくさんクラスメートはあきらめました。その时 私は 亀と兎试合の话を思い出しました。亀が あきらめずに顽张り続けて 最后 兎に 胜ちました。ですから 私は 英语を勉强して顽张っていました。 努力を通じて 最终 四级の资格を取りました。この事件を通じて 本当の能力はあきらめずに顽张り続けることだと思います。この长所を身に付けるようになったきっかけは 高校に入ったとき、成绩の悪いクラスメートがいました、彼の目标は 理工大学でした。私は彼には无理だと思いました。でも 彼はよく勉强していました。三年后 彼は 成功しました。それから、私の态度を変えたからです。私の短所は 少し 内向です。知らない女の人と话すのがちょっと 紧张です。でも 认识人と话の问题がありません。ですから 仕事では 大丈夫と思います。コンミュニケシュンをよくすると思います。そして だんだん 改善していけます。

私の夢

私 の梦は警察になることです。子供のときからずっと警察がカッコいいと

思ってました。その制服も威势がよく、周りの人たちもきっと私のことを羡ましがるしょ う。それから、警察になったら悪い人をつかまることもできるし、刑事事件を解决することもできます。治安を维持し、平和を守ります。何より人々に暮らしや すい环境を创ることができるのです。

アニメーの「名探侦コナン」に大きな影响を受けました。コナン君の事件の解决のしかたや彼の知恵と勇気を见てスリルを感じるとともにとても感心しています。ですから、私もコナン君のような探侦になりたいです。犯罪を打撃し、正义を守りたいと思います。

私の夢

かつて、ナポレオンが「将军になる考えがない兵士はいい兵士じゃない」と言いました。そのとおり、梦がない人生は人生ではありません。

子供の时から、亲や先生や友达などいろいろな人が「あなたの梦はなんですが」と闻きました。理の当然で、人々がさめざまの梦想を持っています。私も梦がたくさんあります。

小学生制になった时、クラス担任はとても优しくて、若い女性でした。みんなだいすきでした。彼女は数学を教えてくださったので、私は 一生悬命顽张りました。长い时间を使って、ひとつの难问に回答した後の気持ちはとても高扬していました。心から数学の教师にならたいと思いました。両亲も喜んで応援してくれました。

12歳、中学校に入りました。その顷田舎の家の近くで伝统的な芝居がはやっていました.祖母も好きで、周末一绪に见に行きました。そして、私はだんだん、その芝居に梦中になりました。时々、真似たり、一人で歌ったりしました。何时でも。何処でも、音楽が闻こえると、特别な感铭がありました。いつの间にか、俳优になりたいという考えが出てきました。私は音痴ですから、両亲に知らせると、「白昼梦を见るじゃないよ」と言われました。今思えば、当时は思春期だったからなのか、悲しいことに自分の考えに固执しました。时间がはやくたちました。瞬く间にもう大学生になりました。今、専门が日本语の私はまた一つの梦があります。その梦とは外资企业に勤めることです。通訳でも翻訳でもいい出です。

そうすると「将来はなにをする?数学を教える?それに俳优になる?あゆいわ日本语に関して仕事をやる?」といろいろな问题が思い出されました。あれこれと思いを巡らすと、难しいですね。答えはなかなか出てきませんでした。ところが、そんな梦がたくさんあるので、生活が面白い、目标に向かってまい进する力が强いです。梦は多ければ多いほど実现する机会も増える?a href="http://www.zw2.cn/zhuanti/guanyurenzuowen/" target="_blank" class="keylink">人激い蓼埂R护膜蚊韦皮欷皮狻ⅳ蓼勘黏蚊韦蜃筏Ε隶悭螗工ⅳ毪椁扦埂?/p>

さっきも言いましたように、梦を持つと问题が出てくることは否定できません。ですが、やはり、私はこれからも梦のある美しい生活を大切にしていきます

私の家庭

コイビトが選んでくれた时计

この时计はコイビトが选んでくれたものです。買ってきたあの日から、ずっと 持っています。もう 目覚まし时计がありますが、时计ほど 便利では

ありません。目覚まし时计は大きいから、持てば とても便利ではありません。 时计は小さいから、いつでも 持っています。勉强の时、时间を见ることが 出来ます。游びの时、时间を见ることが出来ます。あることが时间を见るのは必要です。そして 时间は私にとって 重要です。

中学生の顷、私は时间観が全然 ありません。时计もありません。时间を 知らずに 见るように见えません。夜 暗くなったら 家へ帰ります。食事の时间がもう过ぎましたから。両亲に叱られます。

去年 広东実习の时、その时计を买いました。当时 きれいな时计が多いです。选んだらいいのか まだ 分かりません。最後まで コイビトが选んでくれたのです。十五元しか かかりません。安いのです。けれど 私に似合っています。四角いです。色は银色です。初め 持っていた时、言い出さない感じがあるように 気持ちがよかったです。それはどうして いつも 持っている原因です。もう一つは私にとって 意义があります。时间は人间に重要です。人间は时々 时间が足りないから、困ったと感じています。ある人々は时间に无関心ではありません。その生活は大変です。十年は十日のように 过ぎします。ですから みんな 时间を大切にするようになります。

平井坚の歌词の中に时计を书いてあります。あの时计はお爷さんのです。 买って来た後に ずっと チッタク チッタク动きいています。自慢ですよ。 私も 时计のように 永远に 歩き続けます。

私の家族

皆さん、こんにちは。私は楊と申します。宜しくお願いします。

次の、私の家族を紹介します。

私の家族は4人です。私のほかに、父、母と兄います。父、母と兄は安徽阜阳住んでいます、シンセンに来る前にわたしもここに住んでいます。安徽の名山は多いあります、例えば、黄山、九华山などある。しかし、阜阳は山がない。そこに私の友達が多いです。それはあまり大きくないです。

父の趣味は魚を釣ることです。ときどき、まる一日魚を釣りました。母は服を作ることができます。私の小さい時、母はいつも兄と私に服を作りました。お母さんの製作の新しく服を着るのは、とても嬉しいです。兄は絵が好きで、絵画はとてもきれいです。

今、私はソフトウエア会社で働きます。八時半から五時半まで、月曜日から金曜日まで働きます。仕事が忙しい時は残業しなければなりません。会社まで10分ぐらいかかりますから、朝早く起きなくでもいいです。故郷より、ここに友達が多くないですから、あまに寂しい感じがしました。残業がない時は、会社の同僚と一緒にビルを飲みに行きます。

私の趣味はサッかーをすることです。いつもテレビでサッカーの試合を見ます。毎週サッカーコートでサッカーをするのは楽しいです。

私は日本語を勉強しています。今年のJTestを準備しています。頑張ってね。

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